一歩先行く おとなの書道!郁雲社

なぜ今、おとなの書道なのか

皆さんは書道と言えば、どんな印象を持っているでしょうか。小学校で習う習字というイメージが強いのではないでしょうか

しかし、今は小学校で習う習字は月一回あるかないか、年数回といったところでしょう。はたして、それで字が上手になるのでしょうか。それでは上手になりません。

中には書道教室に通った人もいるでしょう。その結果、書道が好きになった人は、「通わせてもらった」であり、あまり好きになれなかった人は「通わされた」となる訳です。いずれにしても、そこに子供である本人の意思は無く、自主的に始めた人はほとんどいない筈です。

通った人も、通わなかった人も、やがて大人になると、自分は字が下手だから上手に書きたいとか、もっとしっかり習っておけば良かったとか、他人の字を見て美しいと思う気持ちが湧いてくることがあるでしょう。

その時こそ、その気持ちを強くしてください。自分の意思で書道を始める時が来たのです。今度は字を上手に書くという明確な目標があるので、通うことも苦になりません。上達していく自分が手に取るようにわかり、ゴールに向かっていく自分を強く感じ取れるようになるでしょう。

郁雲社は、そんな気持ちを持つあなたを応援できる素晴らしい書道教室をいくつも運営しています。是非覗いてみてください。きっと、楽しい日々が待っているはずです。

美しい文字は財産

ワープロ以前は社内の書類はやはり手で書いていました。 ワープロが出現し、その後パソコンが普及し、そこにもワープロソフトが入っていると、もうほとんど字は書かなくなり、今まで字で苦労していた人たちも、立派な企画書が書けるようになりました。そんな立派な企画書を書く先輩から、ある日自筆のメモを渡され、その字が下手だったらどうでしょう。

字の上手下手でその人を判断できないでしょうが、そう思いながらも初めは「えっ」と思うはずです。

それは、できる人は字も上手という、だれからともなく刷り込まれた先入観によるものなのです。でも、あの人はできるから字の上手下手は関係ない、と思うのは後から冷静に考えた時のこと。ましてや、その人となりも分からなければ、そしてその先入観が刷り込まれた間違った常識だと気が付かなければ、その人はできない人という目で見られることでしょう。

悲しいことですが、それが社会の常識として、我々の意識下に存在していることは否めません。
やはり、文字がその人の第一印象を作ってしまうことがあるのです。第一印象はなかなか拭えません。ですから、美しい文字というものは、何にも代えがたい財産でもあるのです。